マスコミも構造改革を
2002年3月10日
宇佐美 保
数ヶ月前のことですが、朝日ニュースターの看板番組パックインジャーナルで、この番組の常連ゲストの「日刊ゲンダイ」の二木氏は、“最近は、マスコミへの就職希望の若者が激減し、又、やっと就職してくれたかと思っても直ぐ辞めて行くので困る。”と零していました。
それを受けて、田岡氏(当時朝日新聞)は、“おかしいですね、新聞記者はとても遣り甲斐がある仕事ですよ、何しろ、入社すると直ぐに地方局に行かされ、その地方の最高の要人にも対等の立場で接触出来るのです。そして、自分の見解を紙面(勿論、全国紙の一角を占める地方版の部分)に展開出来るのです。”との旨を語られました。
この田岡氏発言から、私は、直ちに田中長野県知事の「記者クラブ廃止処置」が頭に浮びました。
田岡氏のように「記者の鏡」的な存在を長く続けられている方々は、「栴檀は二葉よりも香ばし」を地で行く方々ですから、大学卒業後でも直ちに、要人達を感服させ、又、読者に有意義な記事で紙面を飾る事が可能でしょうが、世の中には「栴檀は大変少ない」事が絶対的な事実です。
ですから大多数の若者は、就職当初は勢い込んで記者仕事に打ち込みましょうが、直ちに自分の実力不足を思い知らされるでしょう。
釣鐘を割り箸で突いても、釣鐘は荘厳な響きを返してくれません。
宝石箱を前にしても、その箱の鍵を持っていなくては、数々の宝物を取り出すことは出来ません。
例えばテレビや週刊誌などには、多くのインタビュアーが登場していますが、そのインタビュアーの「格」がインタビューの内容を左右する一翼を担っていることは明らかです。
ところが残念な事にマスコミ界での「ぶら下がり」(とお呼びして宜しいのでしょうか?)の方々には「格」を欠く方が多いようです。
この端的な例として、数週間前の「週刊現代」の記事を思い出して見ます。
長野オリンピックの金メダルに続いて、ソルトレークでも銀を獲得した清水選手から、コメントを取ろうとして、「ぶら下がり」の方々は競技終了後の清水選手を“何か一言をお願いします”と叫びつつ駐車場まで追いかけても清水選手は黙したまま、 “読売新聞ですが、何か一言を”と叫んだ人には、“なんですか?読売新聞て?”と答えた清水選手を、「週刊現代」の記事の中では、“清水選手はプロとなる適性が無い、プロはもっとマスコミに配慮が必要だ”と偉そうな事を書いていました。
この「週刊現代」の記者は何か勘違いしていませんか?
私達は、ニュースステーションでの長嶋美奈さんによる、或いはNHKでのインタビューから聞かされた清水選手のスケートへの熱き思い、練習へ打ち込む態度、腰の怪我との戦いそれらの背景を知れば、競技後に“何か一言を”と頼まれても、とても一言では表現できない数々の思いが清水選手の心の中を渦巻いていた筈です。
ですから、私達は、そのような清水選手からの競技後の一言を望まなくて十分なのです。
そして、清水選手から彼の心の内を披露して頂くには、「格」を有した人物が応接するのが礼儀と思います。
この点は、大リーガーのイチロウにも当て嵌まります。
私達は、イチロウの一言コメントよりも、じっくりしたインタビューから聞き取る事の出来るイチローの偉大さを感じる事が楽しいのです。
蜃気楼の如き国家元首から「ぶら下がり」の方々が、彼の無能振りを引き出してくれたのは、ある種の効果はあったかもしれませんが、このような例はまれです。
なにしろ、地方の要人に立ち向かう際の、大学出たての若者の武器や防具は、只、 “読売新聞ですが”とか“朝日新聞ですが”との大新聞社の肩書きを名乗るだけです。
あたかも水戸黄門が印籠を示すのように。
しかし、地方の妖怪達は、こんな肩書きに怯む事はありません。
簡単に、若者をねじ伏せ、自分の陣営に巻き込んでさえしまいます。
そこで、若者達は「記者クラブ」へ逃げ、メダカのように群れることで、安楽を得るのではないでしょうか?
このような「記者クラブ」に頼ってしまう卵記者から田岡氏クラスの記者が育つのでしょうか?
そして、何よりも心配なのが、これからは地方の時代と言われ始めている今、妖怪達に手玉にされる記者達に、大事な地方を任せて良いのでしょうか?
今回の鈴木宗男事件がらみで、TBSのMEWS23の筑紫氏は“政治家が官僚に口を出さなくなっては、官僚の横暴が問題になってくるか。従って、政治家の官僚への口出しは不可欠である。但し、政官の関係がガラス張りでなくてはいけない。”と他人事のような発言をしていました。
利権地元優先の政治家が罷り通る時代に、ガラス張り行政を期待したところで、ガラスはいつか「曇りガラス」とされてしまうのが関の山です。
この悲しくも必然的に発生してしまう癒着を監視する役割を果たすのがマスコミの役目ではありませんか?
何故、今まで鈴木宗男議員をマスコミは放置していたのですか?
鈴木宗男議員と外務省ばかりを責めていますが、マスコミ自体も反省すべきではないでしょうか?
筑紫氏は、この事件に対して当初“田中大臣と野上次官との間での言った言わない論争は、子供の喧嘩みたいだ。こんな事をいつまで続けるのか。”と馬鹿にした態度を取っていました。
その上、鈴木宗男議員の数々の疑惑解明のための証人尋問を間近にひかえた今の時点でも、“こんな問題は早急に何とかして欲しい”とも発言しています。
確かに、世論調査では、鈴木事件の解明よりも景気対策を希望する方が多いようですが、
利権だらけの政治家達にどのような対策を期待するのでしょうか?
“悪いのは鈴木一人じゃない、鈴木を切ったところで自民党は変わらないよ。”と白けていたら、万が一にも景気が回復したところで、利権付けの政治家の為に、いつの日か日本は沈没してしまうでしょう。
官僚の施策の中に、地方の窮状が正確に汲み入れられる事は難しい。
従って、政治家が地元のために官僚に助言する事が絶対に必要と自民党などは主張します。
しかし、新聞社の支局がしっかりしていれば、地方の窮状を正確に中央に伝達する事が可能なのです。
その任務を果たすのが、地方分権の重要な役割を果たすべき地方局の仕事なのです。
地方局がしっかりしていれば、政治家の介在は不要なのです。
更には、利権的な地元への公共投資の不適切性、不明朗性、不経済性を的確に報道していたら、族議員達が闊歩する斯くも酷い日本にはならなかったのではないでしょうか?
大新聞社は、地方局の在り方を今改めて考え直すべきです。
(新入社員を、地方局の第一線に闇雲に配置するのは考え直すべきでしょう。
勿論、悲しい事にベテラン記者が優れていると思うのは又間違えでしょうが。)
世の中、田岡氏、二木氏のようなマスコミ人になる人は、限られているのですから、大新聞社の地方局の本社からの分割やら、地方新聞社との統合など色々施策を実施する必要があるのではないでしょうか?
(補足)
定期購読者獲得の為にビール券などを配るよりも、新聞記事検索用のインターネットの無料使用権利(定期購読期間に応じて過去に遡れる期間を変えるのも一法でしょう。)を交付しては如何でしょうか?